シナリオ始めました

初めてシナリオ書きました。誰かに読んで貰いたいので、ブログで公開します

戦争を知らない子供だけれど

 一行!

 これ、他の演者の方も投稿おすすめ文を載せているのですが、投稿のお願いにも役者さんの性格が出ていて面白いです。

 彼の中にはまだ役の石丸が入っているのかもしれません。

 書こうかな。

 わたしもまだ原稿用紙プリントアウトしてませんけれども。

 

 ちょっと前までは終戦記念日ちかくなると、毎年 ❝ 火垂るの墓 ❞を やっていました。

 今は戦時中の話は避けられる傾向なのでしょうか。

 小さな女の子の愛らしさ。命のいとしさ。見る度に泣いてしまいます。

 わたしたち世代(60代後半)ですら、戦争を知らない子供たちと呼ばれていました。戦争体験者はわたしたちの親世代以上(90代以上)になってしまいました。

 父は旧日本軍の海軍所属で通信兵でした。

 父の乗っていた船は通信兵が一人だけだったそうで、代わりがいない為ほとんど寝られなかったそうです。

 ある日乗っていた船が砲撃で真っ二つ。たまたま船首にいた父は海に投げ出され、船首のきれはしに掴まって海を3日間(ここ、盛っていると思う)泳いだそう。

 戦時中の思い出話というのは子供のころはいろんな人からうかがいました。

 思い出話というのは誰でもちょっと盛る傾向があるようです。

 実家の隣の市、豊川市には海軍工廠という兵器工場があったので砲撃の的になったようです。

 ちょっとお喋りをしたおばあさんのお話。

 工場からの帰り道、米軍戦闘機B21からの銃撃を受け、振り返ったら戦闘機の操縦席の中で操縦士が笑っていた、というもの。笑って民間人を的にしたお話。

 狙われた恐怖でお話を盛ったかもしれませんが、現代なら笑いながら人殺しをするタダの殺人鬼です。人は戦争というきっかけで簡単に殺人者になってしまう生き物です。

 母の話は戦争中の民間人( 自称美人 ) のお話。

 自宅が兵隊を受け入れる宿坊に指定されていたが、映画などで観るような人格者などおらず、兵隊がいばりくさっていて嫌いだった。娯楽がないので落語全集を読み漁った。一家の中で配給にならぶ係だったが美人だった(自己申告)のでえこひいきしてもらった。などという、ドラマなどで語られない人間的な面白エピソード。

 父は戦後も戦友さんたちとの交流があったようで。その中の一人が、憲兵に絶対許せないヤツがいるので仕返しに行く、と言ってきかないので、じゃあ(何がじゃあだ)と言って皆でゾロゾロ元憲兵の家までついっていったら、家の中に隠れて絶対に出てこなかったそうです。

 まあそうでしょうね。殴られるもの。

 ※憲兵

 軍隊内の秩序維持を主任務とする兵隊。日本では1881年(明治14)に陸軍に設置され,犯罪捜査・軍紀維持・思想取り締まりにあたったが,次第に権限を拡大し,公安対策・思想弾圧・防諜などにも強い権力をふるった。

 小説 ❝ あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら ❞ で主人公の百合が戦争反対の意思表示を現代人らしく、たびたび表明してしまうシーンがあります。昔も今もかわらないもの。昔と今と違う所。ここがタイムスリップものの見どころではないでしょうか。

 もう一回、この写真を貼っとくか。