東京へはもう何度も行きましたね
君の住む美し都
東京へはもう何度も行きましたね
君が咲く花の都
東京 歌/マイ・ペース
作詞作曲/森田貢
1974年10月25日リリース
修学旅行で行った東京。
美大受験のための夏休みのデッサン講習に、出かけた東京。
故郷の豊橋から電車で1本です。
名古屋にだってTV塔くらいあるし。
イキがっていた18歳のわたし。
もう戦後ではないと言われた、52年まえのお話。
武蔵野美大(短大部)に合格したわたしは当時まだあった直通の特急(新幹線ではない)に折り畳みコタツを持って上京。他の荷物は鉄道便(チッキと言った)大した荷物もなく東京駅に地図に強い女、布団を抱えた母と降り立ちました。
引っ越し費用を浮かすためです。兄は静岡の国立に受かったのに、わたしは東京の私立の美大。授業料が高いので文句は言えません。
まず駅構内に人が多い。豊橋だって多いですが100倍多い。空気が薄い。そして何かに追われているのか、皆さん足が速い。キスしている人がいる。
わたしだってコタツを抱えてなきゃね。(何の意地だ)
東京駅から中央線に乗り換えです。電車の乗り換えなどしたこともない(たぶんあるはずだが誰かの後にくっついていた)。母がいなけりゃ迷っていました。
なんと東京なのに東京駅から快速で40分くらいかかるんですって。
東京のイメージ=23区のイメージですが、大学のある国分寺は田舎です。豊橋の勝ちです。受験で行ったので田舎だという事はもう知っています。※当時の記憶でお送りしております。
学校のある場所はキャベツ畑のど真ん中。中央線国分寺駅からさらに西武国分寺線に乗り換えて鷹の台駅下車か、美大行きのバスに乗ります。バスの利用者少なし。美大生はみんなケチなので鷹の台駅よりひとつ手前の20円安い恋ヶ窪駅から学校まで歩きます。その距離1キロくらいです。※当時の記憶でお送りしております。
なぜケチかと言うと画材費が高いからです。
ヲタクは画材費はケチらないんです。
とりあえずみんなビンボーなので自分のビンボーも気になりません。
わたしの下宿は学校から歩いて25分。国分寺ではなく小平市。東京のことなんてよく分かりません。卒業するまで地図を把握していませんでした。
下宿には3室あって、うち2室が共同台所です。
わたしは4畳半共同台所。そこで洗面も洗濯もしました。
ちょっとシェアハウスみたいですね。
そんなオシャレなものではなあい。
当時冷蔵庫など持っている人は一部の人だけ。毎日買い物するのですが、スーパーが歩いて20分くらいの所にしかありません。
毎日歩く歩く。お米もかついで歩きました。
買ったら牛乳は500ml即飲み、豆腐は1丁丸ごと食べます。
ワイルドだろう?
少したつと友達が出来ます。
当時流行っていたキリンベッド、あるいはアサヒベッド。みんなどこからかコンテナを調達して来ます。
ビール用のコンテナケース10箱を並べて上にマットレスを敷くだけでああら不思議、ベッドの出来上がり。これを学生下宿に住んでいる友達が先輩から聞いてくるんですねえ。
見えないようにオシャレに布をかぶせる、などという小細工をしている人はいませんでした。みんなこのベッドを採用か、直寝(わたしは直寝派)
調理器具や食器は明らかに実家でいらないものを貰ってきて使用しています。
洗濯物は手洗い。外にビニールひもをつけて掛けます。掃除用具はホウキとチリトリ。
でも炊飯器は買ったんですよ。隣の部屋の子は鍋で炊いていました。
2年間東京に住んだくらいじゃ東京に詳しくなりません。
行った街は数えるほどです。美術館のある上野。特殊な紙を売っていた中野。落語を聞きに行った浅草。出版社のある神田。当時の若者の街新宿。一度は行ってみたかった銀座。
それでも都心まで行くのに電車賃が安い。電車の本数が多い。深夜まで電車がある。
東京ってやっぱり凄いな、と思いました。