まだ百貨店業界も元気だったころのお話。
サザエさんにも出てきますが、百貨店は家族でオシャレして行く場所だったのです。
食事は大食堂で。屋上には遊園地、名古屋には象を飼っていたデパートもあったような。まさに百貨店という言葉がピッタリです。
デパートは夢の国。今でもやっているでしょうか。開店時間に入ると近くの売り場の店員さんたち、エレベーターガール、売り場主任がお揃いでお出迎えしてくれます。
エスカレーターにも案内嬢が、もちろんエレベーターにもついています。
下手な格好で行けませんよね。
外商部もありました。お得意様の家に出向き売り場を通さず商品を購入するシステムです。
ここまで読んでお気づきの方もいると思いますが、扱う商品は高級品、お客様を王族あつかいするこのシステム、一部の人しか喜びません。
これを普通に受け止める層がいる。その人たちがターゲットです。
まあ、銀座や、地方の大都市ならやっていけるかも。
地方の中都市はどうでしょう。
今や全国的に減り続ける百貨店、なぜ、衰退してしまったのでしょう。盛況なのは地下食品売り場くらいです。わたしも、つい最近、5年間持ち続けた百貨店商品券を金券ショップで売りました。5年間一度もデパートに行かなかったからです。友達がデパ地下で松茸大人買いをしたのを口を開けて見ていたのが最後です。
その友人もそうですが母もお姫様体質です。大金を使うとき躊躇しない。人に傅かれても恥ずかしがらない。母に付き合って買い物したら、当たり前のように高級品を購入、あなたたち、心に清水の舞台、無いんですね。見てて気持ちいいです。こういう人たちがデパートを支えていたんです。
わたし、短期間ですがデパートに勤めていました。
地元にデパートが開店するというので大々的に店員を募集しており、まだ職が決まっていなかったわたしは応募しました。
筆記や面接もありましたが、適当なわたしはノープランです。スーツ着たかも覚えていません。大丈夫なのかそれで。
心配なかったです。受けた全員合格でしたから。
お店が始まるときに立ち会った事はいい経験でした。何かを始める。その一員になる。独特の高揚感があります。名を知ってもらうために特大広告を持って市内じゅうを一軒一軒訪問。制服着用です。その前に研修を受けたり、本店で実習したりして一流店の店員になりきる準備はしていました。
わたしたちが市内を回っている間に、何もない店内が物で埋まっています。
ピカピカの店内ピカピカの商品、ちょっと感動します。
開店当日にはアドバルーンがあがり、有名タレントさんも呼んで、パレードがありました。
どんな場所にも一番マニアがいて、お客様も入口で行列しています。
各階の店員もエレベーターまえ、エスカレーターまえ、売り場で待機と分かれてお出迎えです。
初日から3日間は、凄い混雑。一週間は盛況でした。しかし、目に見えてお客が減っていきます。まあ、始まりはこんなものでしょう。
お世話になるのです。わたしも、休みの日に店内を巡ったり、近くのデパートや大型スーパーを偵察に行きました。
ウチのデパート、ダサくないか?
実は、ちょっと前から思ってました。
そして、この店にはわたしの欲しいものが一個もない。
その後、すぐ辞めてデザイン事務所に勤めたのですが、そのデパートのチラシを任されることになりました。狭いです地方都市!
店のイメージを変えないよう、チラシの色やレイアウトの基本は最初から決まっています。変更は許されません。上のオジサンたちのセンスなのです。
ダサいなこの広告!ー何かやりたくない…
田舎のデパート、48年前でこんな感じでした。
そのデパートは意外と持ちこたえて4、5年前に閉店しました。名古屋にある本店の方も閉店してしまいました。そんなに長くいたわけでもないのに閉店のニュースを聞いて感傷的な気持ちになりました。
そして、デパートのターゲットの年齢になった今、何も欲しいものがなくなりました。