前回の遺品整理~弟編でしたが
わたしが片付けた中では一番少なかったです。
ここからは、残る全員の印象に残ったものを紹介していきます。
夫の女装写真。趣味ではなくて女装の会があったのです。
マトリューシカに変装したのかと思いました。他の人もひどいです。
すっごいブスの集合写真です。でも楽しそうなのです。この人たち、なぜ女装しようと思ったのか…わたしを笑わせるためなのでしょうか。笑わせてもらいました。
夫のフーテンの寅のコスプレ写真。夫が宴会で必ずやる演目です。確実にうけます。ウチに寅さんセットがありました。一回めは面白いです。2回目はうけないので、夫の寅さん初見の宴会でやるのです。夫の得意気な顔が思い浮かんでおかしくなります。さすがに娘の結婚式ではやりませんでした。
父の本人記録。一時流行りました。「あなたの人生を本にしてみませんか」というやつ。読んだのはわたしだけです。兄が父の家系図を加えて原稿にまとめると言っていましたが、10年以上経ってもまとまっていません。ページ数が少なすぎて父は本にしませんでしたが、自分史を苦労して書き、自費で出版して配った人たちもまず、読まれていないと思います。
その人たちは松下幸之助じゃないからです。
父は軍隊経験者なので、軍服の写真が残っていました。60歳すぎてから写真館で修正し直した記念写真ですが、セーラー服(海軍)姿の父の後ろがヤシの木が映えるビーチ(合成)なのです。これから戦争に行くのにのどか過ぎる…生きて帰ってきてよかった。でないとわたしも生まれていませんしね。
母は大量の店舗会員券、お店の人に言われるままに入ったのでしょう。ハンコが中途半端に押されてどれもゴールしていない。病院の診察券。民謡や太極拳等、色んな会に入っていた母は毎年もらうのか大量の手ぬぐいもありました。
母が社交的な人だったことがうかがえます。孤独じゃなくて安心します。
義母は教育者だったので、教育関係のものが沢山ありました。小学校の先生だったのです。誰かが遊びに来た時のためにと、色紙、クレヨン、色鉛筆、彫刻刀、画用紙が死ぬほどありました。いや、わざわざ先生の家に遊びに行ってお絵描きしないだろー。
これは身内だからこそわかること。遺品整理屋さんは大事なものかと、いちいち聞かないと捨てられません。
まあ、聞かれたら言いますけどね。
捨ててください、って。