シナリオ始めました

初めてシナリオ書きました。誰かに読んで貰いたいので、ブログで公開します

光る君への年表を追うのに忙しい


 NHK大河ドラマ❝光る君へ❞を観ています。

 光る君ファンのかたのX投稿も楽しく、次第に知識も増えていきます。

 わたしは先が気になるドラマは3/4くらいのところで、我慢しきれず、たいてい原作本を読んでしまいます。

 しかし、❝光る君へ❞はオリジナル脚本。先を知るためには

 天皇家家系図

 紫式部家系図

 藤原道長家系図

 で人物関係を読み、紫式部の年表、藤原道長の年表などで先を推察することになります。

 ドラマは史実に沿って書くわけでもないので、必ずしも史実と一致はしません。

 でも、それはそれで良いのです。わたしは研究者ではないのですから。

 

紫式部(むらさき しきぶ)

 平安時代中期の女房作家歌人。『源氏物語』の作者とされ、『紫式部日記』を残しており、歌人として『紫式部集』を残した。『後拾遺和歌集』などに入集し、『中古三十六歌仙』『女房三十六歌仙』『百人一首』に選ばれている。

 誕生年970~978

 没年1014~1031とあります。

 出典:フリー百科事典『ウイキペディア(Wikipedia)』

 わりとはばがありますね。当時の女性は生年、没年の記録がないそうなので他の方の日記等で推察するしかありません。

 まあ、専門家でも何でもなく、これもWikipediaや他の研究家の受け売りなんですが。

 少なくとも1019年までは存命だった記録があるそうです。

 ※藤原実資の日記 ❝ 小右記 ❞ に越後の守為時女なる女房の記述が出てくる。諸説あり 

 

 短くても37歳までは生きているはず。長ければ61歳くらいまでは生きていたと思われます。

 お父さんの藤原為時は娘よりあとまで生きています。※諸説あり

 

 先日放映された ❝ 光る君へ ❞  第31話(2024・8・18放送)では、まひろ(紫式部・演/吉高由里子)がとうとう ❝ 源氏物語 ❞を書きだします。 

 

 紫式部、結婚からの年表

 藤原宣孝と結婚(式部20代後半) 西暦998年

 長女賢子出産             999年

 宣孝死没              1001年

  わずか2年半の結婚生活だったそうです。

 源氏物語執筆開始          1002年?

  ドラマではまひろが執筆依頼を受けたとき賢子が6歳(数えかもしれない)になっています。あれ?執筆開始が1005年くらいでないと計算があいません。

  夫宣孝が亡くなった寂しさや将来への不安を紛らすため、書き出した、と言われています。だとすると死没4年後は遅すぎるような気もしますが。

  ドラマでは藤原道長(演/柄本佑)から清少納言の ❝ 枕草子 ❞ に対抗するための創作物を依頼されて、という解釈です。

  

  構想を温めていた説をとることにします。実際の執筆は1005年ごろ。

  理由は書きたくても長編を書くほどの量の紙が買えなかった(想像)

  フー。

  フー、じゃないわ。

 ❝ 源氏物語 ❞ の数編が評判を呼び、ついに

 一条天皇の后で藤原道長の娘中宮彰子の女房として出仕。

                   1006、7~1012年

 ※当時紫式部娘、賢子 8、9歳~13歳

  家柄は没落貴族の末裔。才能で世に出た人です。

  在宅のころから育児放棄気味にみえるまひろ。賢子はもはやじいじに育てられたと言っても過言ではない。※ドラマを参考にしています

  まあ、貴族の子育てですからね。元々乳母が看るのかもしれませんが。

 紫式部日記執筆           1008年~1年半

 ※参照 中宮彰子第一子(敦成親王)出産     1008年

 彰子出産の記録に書いた日記とも言われています。(受け売りです)  

 清少納言和泉式部のことを悪く書いています(事実です)

  54条にもわたる長い物語。源氏物語に何年かけたのでしょうか。

  1001年説だと7年くらい、1005年だと3年半くらいで書いちゃった。筆が早いです。ジャンプの週刊連載くらい。構想をずっと温めていたなら書けるかもしれません。

  登場人物は数百人。

  それだけになると、いまの漫画家さんのように人物相関図、キャラクター設定等をまず最初に緻密に練ってから書かないと忘れそうです。

  あるいは一番楽しく書けた光源氏最モテ期から始めて、エピソード1、0と遡って書いたかもしれない。(わたしはこの説がいいなあ)

  

源氏物語の概要】

 第二皇子として産まれたが母の身分が低かったため政権に巻き込ませないよう父が臣下させ源氏を賜る事となった源氏物語の主人公光源氏の栄華復活とかげり、その死後子と孫の物語の全54帖。第1帖第41帖は「光源氏」を軸に描かれ、第42帖第54帖は「」を軸に描かれる。

 出典:フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

 

 一条天皇病気により譲位、出家     1012年

   32歳です。まだ若いのに。イケメン(関係ない)

 これにより、彰子は中宮ではなくなります。24歳。

 次の天皇三条天皇

 一条天皇より年上なので道長は次の次の天皇にも娘を嫁がせる算段をしています。

 道長、父親そっくりですよね。(ドラマではどこかボーッとした柄本佑が演じているため、そんなに悪人には見えない)

 

 では、ちょっと気になる式部の娘賢子の年表はと言いますと

  999年?誕生

 1082年?死没

 ドラマでは母親(紫式部)が出仕時8、9歳。

 18歳の時母の後を継いで一条院女院彰子の女房として出仕しています。

 その間の男性遍歴が華やかです。そして二度の結婚。

 

 そこから考えると話題になった架空の人物、双寿丸(演/伊藤健太郎)は賢子18歳より前に出会った男でしょうか?

 ドラマの人物紹介のところで盗人に襲われたところを助けてもらった

 屋敷に出入りしているうちに、紫式部とも出会っている

 とあります。

 出仕していた紫式部ですが、実家が近いので里帰りはしていたでしょう。

 まあ、このくらいでやめておきます。